1992年6月11日。
ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開かれた、国連の地球環境サミット。カナダ人の12歳の少女が、いならぶ世界各国のリーダーたちを前に、わずか6分のスピーチをした。そのことばは、人々の強い感動を呼び、世界中をかけめぐり、いつしか「リオの伝説のスピーチ」と呼ばれるようになった。
「私たちひとりひとりの力が、世界を変えていける」ということを、いまも世界中に伝えつづけている少女の言葉を、あなたに届けます。
〜リオ地球環境サミットのスピーチから〜
こんにちは、セヴァン・スズキです。エコを代表してお話します。
エコというのは、子ども環境運動(エンヴァイロンメンタル・チルドレンズ・オーガニゼーション)の略です。
カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、今の世界を変えるためにがんばっています。
あなたたち大人のみなさんにも、ぜひ生き方を変えていただくようお願いするために、自分たちで費用をためて、
カナダからブラジルまで1万キロの旅をしてきました。
今日の私の話には、ウラもオモテもありません。なぜって、私が環境運動をしているのは、私自身の未来のため。
自分で未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとは、わけがちがうんですから。
私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちのためです。
世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。
そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている、無数の動物たちのためです。
太陽のもとにでるのが、私は恐い。オゾン層に穴があいたから。呼吸をすることさえこわい。
空気にどんな毒が入っているかもしれないから。
父とよくバンクーバーで釣りをしたものです。数年前、体中ガンでおかされた魚に出会うまで。
そして今、動物や植物たちが毎日のように絶滅していくのを、私たちは耳にします。
それらは、もう永遠にもどってはこないんです。
私の世代には、夢があります。
いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルを見ることです。
でも、私の子どもたちの世代は、もうそんな夢をもつこともできなくなるのではないか?
あなたたちは、私ぐらいの歳のときに、そんなことを心配したことがありますか。
こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるような、
のんきな顔をしています。
まだ子どもの私には、この危機を救うのに、なにをしたらいいのはっきりわかりません。
でも、あなたたち大人にも知ってほしいんです。
あなたたちも、よい解決法なんて、もっていないっていうことを。
オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか、あなたは知らないでしょう。
死んだ川に、どうやってサケを呼び戻すのか、あなたは知らないでしょう。
絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか、あなたは知らないでしょう。
そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森をよみがえらせるのか、あなたは知らないでしょう。
どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのは もうやめてください。
ここで、あなたたちは政府とか企業とか団体とかの代表でしょう。あるいは、報道関係者か政治家かもしれない。
でもほんとうは、あなたたちもだれかの母親であり、父親であり、姉妹であり、兄弟であり、おばであり、おんなじなんです。
そしてあなたたちのだれもが、だれかの子どもなんです。
私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが、同じ大きな家族の一員であることを知っています。
そうです、50億以上の人間からなる大家族。いいえ、じつは3千万種類の生物からなる大家族です。
国境や各国の政府がどんなに私たちを分けへだてようとしても、このことは変えようがありません。
私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に向けて心をひとつにして、
行動をしなければならないことを知っています。私は怒っています。でも自分を見失ってはいません。私は恐い。
でも、自分の気持ちを世界中に伝えることを、私はおそれません。
私の国でのむだづかいは、たいへんなものです。
買っては捨て、また買っては捨てています。それでも物を浪費しつづける北の国々は、
南の国々と富をわかちあおうとはしません。物がありあまっているのに、私たちは自分の富を、
そのほんの少しでも手ばなすのがこわいんです。
カナダの私たちは、十分な食べものと水と住まいを持つ、めぐまれた生活をしています。
時計、自動車、コンピューター、テレビ、私たちの持っているものを数えあげたら、何日もかかることでしょう。
2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました。
ひとりの子どもが私たちにこう言いました。
「ぼくがお金持ちだったらなぁ。
もしそうなら家のない子すべてに、食べものと、着るものと、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに」
家もなにもないひとりの子どもが、わかちあうことを考えているのに、
すべてを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、いったいどうしてなんでしょう。
これらのめぐまれない子どもたちが、私と同じくらいの歳だということが、私の頭をはなれません。
どこに生まれついたかによって、こんなにも人生がちがってしまう。
私がリオの貧民街に住む、子どものひとりだったかもしれないんです。
ソマリアの飢えた子どもだったかも、中東の戦争で犠牲になるか、インドで物乞いをしていたかもしれないんです。
もし戦争のために使われているお金をぜんぶ、貧しさと環境問題を解決するために使えば、
この地球はすばらしい星になるでしょう。
私はまだ子どもだけど、そのことを知っています。
学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたたち大人は子どもに、世のなかでどうふるまうかを教えてくれます。
たとえば、
争いをしないこと 話しあいで解決すること 他人を尊重すること ちらかしたら自分でかたづけること
ほかの生き物をむやみにきずつけないこと わかちあうこと そして 欲ばらないこと
ならばなぜ、あなたたちは、私たちにするなということを しているんですか。
なぜあなたたちが今、こうした会議に出席しているのか、どうか忘れないでください。
そして、いったい誰のためにやっているのか。
それはあなたたちの子ども、つまり私たちのためです。
みなさんはこうした会議で、私たちがどんな世界に育ち、生きていくのかを決めているんです。
親たちはよく、「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ」といって、子どもたちをなぐさめるものです。
あるいは、「できるだけのことはしてるから」とか、「この世の終わりじゃあるまし」とか。
しかし大人たちは、もうこんななぐさめの言葉でさえ、使うことができなくなっているようです。
おききしますが、私たち子どもの未来を真剣に考えたことがありますか。
父はいつも私に不言実行、つまり、なにをいうのではなく、なにをするかでその人の値うちが決まる、といいます。
しかしあなたたち大人がやっていることのせいで、私たちは泣いています。
あなたたちはいつも、私たちを愛しているといます。しかし、いわせてください。
もし、そのことばがほんとうなら、どうか、ほんとうだということを行動でしめしてください。
最後まで私の話をきいてくださって、ありがとうございました。
〜「あながた世界を変える日」 より〜